おもちゃ箱そして

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いもうとよー6

こんにちは~、マリーで~す。

どうしてこんなに暑いのかしらねえ、ケータイのあたしはまだそれほどでもないけれど、パソコンさんもタブレットもヒーヒー言ってるわよ。これでも今日は最高気温32度なんですって。それでもやっぱり暑いわよ。うちのおばはんなんか冷蔵庫をあけたり閉めたり、冷たいものばっかり飲んじゃってておなか壊さなけりゃ良いけどね。

だけどさ、子供の頃を思い出せば、うちのおばはんも妹のみいちゃんも弟も平気で毎日外に出て飛び回って、真っ黒に日焼けしていたらしいのに、もう今では日焼けするとシミやしわも増えるからって、夕方にならないとお外にも出ないし、何か情けないわねえ。

そういえば、話を続けなくちゃね。うちのおばはんが高校三年の三学期の二月に、もともと丈夫じゃなかったお母さんが慢性腎炎の末期で亡くなっちゃったの。あの頃だからまだ透析も無かったし、救急車で病院に運ばれて、親類がみんな集まっていたけど、翌日の朝にはもうだめだからって、病院に呼ばれたの。ところがその日は高校の最後の期末テストであの人、めそめそしながら学校に出かけてテストの答えもまともに書けないし、電車の中でも涙が止まらないままだったのよね。

お家に帰るとすぐにもう冷たくなっちゃったお母さんが病院から運ばれてきて奥の間の布団に寝かされてたのね。それであの人、お母さんの唇に最後の口紅をつけてきれいな寝顔にしたのよ。

翌日火葬場に行ったんだけど、その日は二月半ばでは珍しいような大雪が降っていたのよ。火葬場であの人、全然泣かなくて、平気な顔をしてたから親類のおじさんやおばさんに、なんて子なのとか言われちゃってたけど、ほんとはそうじゃなかったのよ。お母さんの死を受け入れられなかったから、あの人の心の中ではその後、長い間、何年もお母さんは死んでいなかったのよ。人は外見だけ見てああでもない、こうでもないって、適当なことを言うけれど、本当はそんな簡単なものじゃないんじゃないのかしら。

この話はまた後で出てくるから今はこれだけにしとくわね。でも、ひとつだけ付け加えると、お母さんのために並んだ喪の花輪の中に、その頃はお父さんも仕事で現役だった頃で、その関係でサントリーさんからの花輪も並んでたんですって。開高健さんがサントリーの重役だった時代で、仕事の関わりがあったらしいわ。だからあの人、今でもお父さんとお母さんのためにホンダさんとサントリーさんには感謝しちゃってるのよ。

妹のみいちゃんのほうは、中学の途中からずっと不登校になってたの。それでもお情けで卒業して親たちが洋裁の専門学校に入れたのに、これもすぐに不登校になって、自分の部屋に籠もってしまったの。なまじっか、生活には困らない家だったから、親も心配はしても仕方なく放任していたのよ。でも母親がいなくなってしまうと、父親も子供たち三人も、それまでのような生活は続けられなくなったの。

お母さんがいなくなって、たがが外れちゃうと、姉娘のうちのおばはんたら自分で大学進学も止めちゃって、とりあえず習いものをしてたけど、でもどうせだから手に職をつけようってんで当時だから和文のタイプを習ったの。読んだり書いたりはその頃から得意だったから向いてたんだかなんだか、その方向で就職しちゃって、結局和文タイプだとか写真植字なんて仕事をしてたのよ。

うちのおばはんはそんなことだったけど、その間に、あの人のお父さんが、さすがにこのままでは家の中もどうにもならないってことで再婚したわけよ。それが今の義理のお母さんなのね。

そこからがまたいろいろなんだけど今日はここでおしまいよ。ほんじゃ、またね。


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by paje1912 | 2017-03-21 13:38 | 物語